三原色は存在しない(ニュートン) 

 
 
 「三原色光は存在しない(ニュートン)」(ペテンの現代色彩学!)  

 色彩学の始祖とされる(ニュートン)は、その分光実験で、「光に色は着いていない」と「三原色光」を否定し警告しました。また「三原色の原理(グラスマン則)」に「減法混色」は全く有りません。 なのに後世(現代の?)学者たちは、三原色を曲解・変造して(矛盾する形や規則を)私達に押し付けて、色彩学を混乱・破綻をさせたのです。

 筆者(北ノ間)は、ここ10年以上前から、現行の色彩学(三原色々光説)の誤りを指摘して、(新しく正しい色彩学)の構築を目指して、色彩講座(本HP)の掲載を続けてきました。 ←(本HPは、大好評で(往時のアクセス数は、国内で(多い日は何百通)、外国は(窓口が何十ケ国も出来て実数不明)の状況でした)が・・、
 ←(筆者の健康都合により(本年始めより休載)でしたが間もなく再開のつもりです。
 本講HPは、未だに(数十通/日、←おそらく新規学習者)のアクセスが続き(再開が期待)されている様子です。
 さて、これからの講義をどのように進めようか?と考えるのですが・・ 
 果たして、これまでの講義が(十分に理解され、拡がり、活用されているか?)と考えるとき、・・ やはり(心元ナイ)感じが拭えません。
 (新しい学習を・・)と考えるとき、従来の(色彩経験者ほどダメ)なので・、「旧三原色の知識・先入感」が(学習の妨げになった)と思われます。
 そこで今回の講座では、まづ最初に「無用な先入観の放棄(※)」をお願いします。
※ 旧来からの色彩学(三原色・色光・色素・帯域・色相環・色の構成・方式・ルール・・など、すべて間違いで何の役にも立ちません)すべてキレイに忘れて、放棄して下さい。
 お気に召さない人が多いようですが、これが肝心のポイントで(最も難しい所デス)。 ← (筆者も(何度も行きつ戻りつ)どれだけ苦しんだコトか・・)
 極端な言い方をしますが、旧色彩を信奉する人は、色彩を知らない(=理解出来ていない)人達です。 
 誰でも真剣に考えるなら「現行色彩学(三原色説)の矛盾やデタラメさ」に気付く筈です。 ←(本当に分からない人は(見込みがナイから)「色彩学は諦めて」下さい)
 「三原色説のマヤカシ」などについては、講義の最初に詳しく説明しようと思っています、が
 今日は、こんな(間違いだらけで非科学的な「三原色説」が、現代に至っても(ナゼ訂正もされずに罷り通るのか?・)について、考えて見ましょう。

 人には「視覚」があり、辺りの景色を眺めて(ごく自然に)物の(色や形)を判断して生活しています。 
 「ナゼ色が見えるか?」など、普段は特に意識しませんが・・ 、色の原因を、物の表面に付着する(色素 ※)による、と考えます。
 (※ 色素とは、色料(絵具など)の微細な粉末で、色の原因となるモノだが(物理的な要素(大きさや重さ)を持たない、とします。)
 だから(色素感)は、世界(宇宙)中の総ゆる所に(色素)が分布し(光にも付着)存在するもので、私達は常に「色素(見たり操作したり)と共に生活している」とする考え方です。
 私達は、学校(幼少)時代から「三原色説」を学び(表向きは)「光の三原色、加法混色」と言い「光が色を見せる」と言いますが・・ 
 光による色操作は、実際には殆どナク、・・、日常的には(物や形・色の判断・色料の操作)など(色素感)に基づく「色の三原色、減法混色」を、経験・体感をするので、(少々の論理では消せない)ほど(心の奥深くに沈着)するようです.
 つまり、学問として色光論よりも、経験的に染み付いた(先入観・経験則の色素論)が優先して抜けないのが、「矛盾を併存した三原色論」生まれる理由なのです。
 「貴方の論理は正しいのか?、どこが違ったのか?、貴方の色素感」をいま一度見直して下さい。

 新色彩は難しくはナイが、広範です。(やり抜く)覚悟を決めて掛かってくださいネ  ←(ここが新色彩へのターニングポイント)です。