退院お知らせと次期開講予告 

* 退院のお知らせ
 お盆が目前に迫りました。遅ればせながら「暑中お見舞い申し上げます」。

 筆者の健康都合により(本年は早々からお休み)本当にご迷惑を掛けました。
 このほど漸く(経過観察)となり、自宅に帰り着いた次第です。

 本講座の閉講(昨年末)に当たって(慌てて詰め込んだので、)果たしてどれだけ理解出来たか?(特に初心者)を危惧してきました。
 講義の再構築や、総まとめ(文書またはCD発行)も、考えましたが(いずれも果たせず)でした。
 
 さて昨秋にも少し触れましたが、本講は、従来からの色彩界に新しい(4軸8色)の「色体系」を提唱するもので・・、「旧色彩学(三原色説=色素感)の誤り」を訂正するよう、ここ10年以上前から筆者が主張してきたものです。
 この新しい色彩学を、皆んなが(理解し利活用出来る)ようにと「特許の申請手続き(2010年)」を行ってきました。・・  ←(これが間違いだったようです)。

 特許庁は、(何を恐れたのか?)本件の申請内容に一切触れないまま「審査拒絶(門前払い)」を3回も繰り返しました。
 余りのことに、筆者が(申請・審査)内容を精査すると・・←(これまでの申請さぎょうは、代理人任せだった)
 「審査官の(悪意の指示)で、申請内容が「書き換えられ」て、それが(拒絶の原因)になっていました。 
 これではイケナイと 審査官の(変・改造や曲解)が出来ないように「特許請求項」などを書き改めて、「再審判の請求」を行いましたが、 これも審判官の(文書捏造や曲解・デタラメな訴訟指揮)で、潰されて、(つまり総てを通して、特許内容の審査・評価を全くしないまま)「特許申請拒絶の審決」が下されました(2014年11月)。
 このとき、筆者は健康不良を理由、審判の延期を願い出たのですが(叶わず)(知財高裁での)「審決取消請求」のみが、唯一の道とされました。
 これまでの代理人は(資金不足を理由に)高裁の裁判を忌避して降りたので、裁判維持(法廷資料作成や出廷・弁論・打合わせなど・・)のすべてが(法律素人)の筆者がすることになりました。
 予備資料・弁論や・打ち合わせ・本番出廷などすべて「東京」なので、その都度、新幹線で東京へ向かったのでした。
(丁度この当時は(生命にも関わる最悪期でしたが)医師に懇願して(病院抜け出し)の許可を得ての、新幹線旅行でしたが、体調は不良、余りにもキツク(頻尿、目眩・息切れで・・)。駅から高裁へは、皇居堀端の柵に掴まり、よろめきながら歩いたし)。帰りの新幹線は、精根尽き果て(まさに死ぬ思いの帰阪)でした。
 筆者にとっては、これほどまでの期待の裁判でしたが、どうやら、「予定の出来レースだった」らしく、全く理由の通らぬままに「筆者の敗訴」が確定し、これ以上の控訴も出来ない・・という結果に終わりました。 
 ツマラン話が(腹が立つので)ついつい長くなりました。 ←(「審判の詳細」はいずれ、正確に公表します) 

 さて、オカシナ話は横に置いて・・と
  この「新色彩学」をこれから(どうするべきか?・・)、ということです。
 特許の内容は、「色彩表示システム・プログラム」としての特許手続きで、既に世界中に公開され知られています。(皆さんにも、ほぼ全容を解説してきました)が、
 本特許の内容は、特許請求事項として公開されたものなので、本来は保護されるべきものですが(この特許庁の対応からは、「保護」は、到底望めません(とくに外国で誰かが、特許申請をすれば野放しだろうと思われます)。 ← このままでは(折角の特許事項が、作成国の日本や筆者が特許料の支払を請求される事態になり兼ねません)
 このような事態を避けるために、一日でも早く、「筆者(キタノマ)の作品」であり「日本の特許」であることを(広言し・確定)させなければならない、のです。

 具体的に「何をしようか?」という考えは、決まっていません。 特許の内容を皆さんに正確に(可及的に速やかに)知って頂くこと・・が第一」 と思っています。
 まづ手始めに出来るのは 「前回の講習を再開すること」を始めたいと考えています。
 それも、「全体的な纏め」を 、一から丁寧にするか?(健康面が続くか?)。それとも大急ぎで、系統的な纏めをするか?(光物理・色彩・視覚など・・数テーマに別れる。
 など・・ 。 
 明日からお盆休みが始まるので、実際の開講は、急いでも9月以降になります。
 その他、皆さんからの意見や希望を聞きたいと思っています。     
                              以上
 「退院のお知らせ」と「暑中お見舞いと「次期開講予告」とを取り急ぎお知らせする次第デス。