光に色は付いてイナイ

 光に色は付いていない
 (筆者の体調不良で、イロイロとご迷惑を掛けて相済みません)
 さて、本講の再開から早や1月以上になります。 いよいよ新色彩の本講義に入りたいのですが・・、 旧色彩の「三原色(素)論」は、脱却出来たでしょうか?・・、
 ここを卒業出来ない人は、この先は侵入禁止です(混乱するだけナノで、出直して下さい!・・)

(旧色彩不毛の原因)
 旧色彩学は、光科学の導入(17世紀)以来、、従来の色彩感の変更を余儀なくされて、色原因を捉えることが出来ず(光だ色料)だと・・混乱したままで、(色彩の原理やルール)を何一つ示すことが出来ず、 およそ色彩(学)になっていません。
 この混乱の最大の原因は、以降の色彩関係者全員が「光物理(科学)を、全く理解出来なかった」と言うことのようです。

 (異論を唱えたい人に)
 〜、があるようですが・・、貴方は三原色(光)論ですか、 光科学導入の元となったニュートンは、「光に色は着いていない、と言っていたそうです。
 後世の人(貴方達が)「三原色(光)論」をデッチ挙げた(実験的にも色と光の対応はナイ」のに、のです。
 ← 光は、レッキとした物理現象です、「物理的な三原色」を示してから、論じて下さい。

(色彩学のはじまり)
 色彩感覚は、本来的に人に備わった感覚なので、誰もが絵画や染色などで、混色技法や色の基本原理など、一定のルールなども、経験的に身に着けていました。
 近世になって(科学・工業)が発展し、新しい(物理・光学)が(色彩の世界にも導入されることになり、色彩の世界が大きく変わりました。これを「色彩科学の始まり」とされます。 しかしこの新しい(色彩論や色彩感は、従来の(経験的な事象や技法)と相容れないモノがあり、これまでのルールが多くが変更されて、色彩学の混乱の原因となりました。

(色とは何か?)
 筆者が、これを皆さんに問うのですが?・、イツモ答えは帰って来ません。
で、光色は元々、天然自然に存在するモノとしていますが・・、(色光の実体)は見当たりません。
*、物体表面の色料が、光を反射して色を決めるか、色の原因は光でなく色種だ、と言う人が居ます。
 
(当たりとハズレ)
 以上どちらの主張が正しいのでしょうか?(ン百年も疑問が続いてきたことです)。
 いま仮に、(色光)を容認したとして・・話を進めましょう、
 人の目は、直接光源の(色光を見る)ことは出来ません(危険デス)。ので)。普通には、物体表面で散乱した光が(反射光は1方向ノミ)見えるのです。 

(散乱光を見ている)
 だから、「光源光に指定の色があったから見えた」は正しいのですが、「色光を散乱する物質(=色料)があったから色が見えた」も正しいのです。 つまり、光が有るコトや色料は色が見えるための「必要条件」ではありますが・・、色原因の「充分条件ではない」のです。
 (色が見えるためには(色光が有って)(色料があって)かつ「色を見る人の目」が必要なのです)。
 「ナーンだ」と思われたでしょうが・・(こんな所に大事なポイントが隠れているのです。
 ← (大切なポイント(原因・条件・順序立てなど・・)を見過ごしたり間違えないように・・)ネ