色素感は変わらない

 

(色素感は変わらない)

-3 色素論の変遷
(色素論の発生)
  −− 私たちは(生まれて以来)色を利用して(物の大きさや形)を判断してきました。 つまり色素とは(色料)の微細な粉末で「色素が物の表面に分布しているので色が見える(色の元は色素)」と説明されてきました。
 この色素論は、総ての人に分り易く日常的な経験に合致したので(色を見るたび、常に無意識に、皆の心に深く沁み付いて色彩の基本常識(心の中に)として定着して行きます。
 ← だから(色光論となった)今でも、表向き光三原色を唱えても(心の中では)この古典色彩の経験則が働くのです。
(色素論の拡張・変更)
  −− これまでの色彩感やルールは前述のように、経験的な色材料(色素)の(中間混色)のルールでした。だからこれまでは(色素が色を発する)だったのですが・・、
(光が色の主因とするため)・・三原色光に合わせて、色素は(赤緑青の3種類)とし、色素は(大きさ重さを持たない)、宇宙はエーテル(光の波)で満たされている・・、などと考えて、(色の主原因を光)に変更したのです。
 そこで、外から三色光が来れば、物体表面の色素が反応するので色が見える)ことに変更しました。
(光の加法混色)
 色光を重ねて照射すると、色が混合したように見え明るくなったので、これを「光による加法混色」としました。 当時の三原色論と結び付けて、ほぼ(完成したルール)と考えられました。←(本当は光の加重合成で、色の混合ではなかった。また光強度の変化で、ある程度までは色が濃くなり一定限度以上では却って色が薄くなる・、つまり明度・彩度が不整合)をそのまま容認した。
(減法混色)
 心理色彩派の人達が、「色料による減法混色ルール」をデッチ挙げ(減法混色実験がウソ)て、加法対抗型に見せ掛けたモノ)で全く架空の理論です。 ←(色材料の混合や色面積の混合は中間色だったのに、印刷や塗料など重ね塗りで暗くなったのを(減光効果として扱ったのです)。
(補色と色相環
 三原色の相互補間を続けると、ほぼ連続した色環(本当は三角形だが・・)を作ることが出来るので、これを「3色色相環」と呼びました。 すべての色が環状に並ので、対抗位置の色を補色として、他の性質も対抗的な値だとしました。
 補色の3色円板が作られてから、両者を重ねて6色色環が作られ、さらに中心に白黒軸を立てましたが(色相・明度・彩
度)ともメチャクチャになりました、←(色の基本ルールとするには誤りなので、「色の属性」としています)

(色素感と物理論との対立)
 以上のように、新しい「理科学的な光の三原色光説」と、古来からの(経験色彩)とは(相容れない所が多く)素直に受け入れられず(殆どが、その後の対立・論争の要因となってきました)。
 今にして思えば、「幼稚な物理派の誤り理論の押しつけが、経験則重視の心理派の反発を招いた」というコトでしたが、現色彩は、すべて(妥協の産物、両論併記で)未だに纏まった理論や成果は何一つ有りません。
 色彩学には「学問体系」がナク、皆が好き勝手の言い放題で、整理・話し合い・の場が無かったようです。 他の分野の科学や技術はスゴイ発展をしているので・・ やはり色彩界の不毛な対立と(それにかまけた、両者の怠慢)が原因だった・・ということになります。