人は動画を見ている 


 人は動画を見ている
 八月にもなり(いよいよ 講習を終えよう)と思うのですが・・未だに(完全理解が出来ず)足踏みをしている人がいます。 何処が隘路なのか?・・と考え「光りの基礎」についての(学習方向を示す)オサライをしました。
 慌てて先へ進んでも、混乱が増えるだけ、の逆効果(ウサギとカメ)さんのようにジックリと落ち着いて学習を進めて下さい。
 今日は、色彩学習で(慣れないし理解し難い)もう一つのポイント「色彩画像処理」について、お話をしまょう。
 (新しい色の見方)
 旧色彩学では、昔から天然自然に(赤・緑・青)の三原色が存在していたので・・、人はそれを見て(色を感じ)、その景色や模様を旨く再現出来れば良かったのです。
 しかし、近世以降の科学の発達・工業の発展に伴い(色彩・光学)の部門も色々の変革が迫られるようになりました。 新しい科学が(未熟なため)、経験則重視の旧色彩とは相容れない部分が多く・・心理色彩派と物理科学派の対立を生み出しました。 それからン百年が経っていますが、未だに対立構図を引き摺ったママなのです。
 (色彩の解放) 
 色彩の科学は、世界大戦にによる言論封鎖。その後は、印刷・写真関係メーカによる技術の独占によって、一般の社会からは、隔絶された技術になっていました。
 テレビやビデオが普及し、一般の家庭にパソコンが置かれ、今や子供がスマホ(小型コンピュータ)で遊んでいます
 何処の家にもコンピュータやプリンタがあり、誰もが年賀状を印刷するようになりました。 メーカの(色彩独占)は崩れ、誰もが色について(考え利用が出来る)時代になったのです。
 〔色彩に新しい発想を)
 旧色彩学は、今からン百年前で、まだ電気(電灯)もない時代で、その後「光りが色の元」「光りは電磁波」「電波は物か波か」・・などする議論が百出して、その都度みんなが右往左往するような時代でした。
 だから色彩学も色々の変遷があったし、論争も当然のことだった、と思うのです。が
 その後の科学や技術は進み、今や最先端の部門では、地球の外へ衛星を飛ばして、人が生活し、他の衛星の資料を持ち帰る・・までになっています。
 このように、他の部門の技術発展を見るとき、(ン百年も停滞したままで潰れて終い)(それにしがみ付く他ナイ現代色彩学)・・「余りにも情けない・・姿」 だと思いませんか?・・
 (失敗は繰り返さナイ)
 色彩学の失敗は、メーカや専門家達が「色の秘密」と称してして(自分達の不明)を隠したコトにあるのです。 ワカラナイのに(知った顔)をして、説明の不備を(ウソで塗り固め)・・永年に亘って「色の巨塔」を作り上げてきたコトです。
 そんな。(旧色彩のセンセイ)の顔色を窺っていては、何も出来ナイし。高所から他所を見ることは出来ません。 ツマラヌ束縛の紐は(実は心の縛りダケ)、今こそ断ち切って下さい)
 < またもや ゴタクが多く飛び出しました ゴメンナサイ >

 (人の視覚は動画の世界)
  さてこれまでと、視点を変えて「人がどのように色を見ているのか?」・・逆に色を見ることにしまよう。
 人の視覚は(明暗・輪郭)から付近の物の存在・状態の確認が、第一の目的だと言いました。 視覚は、生活(食料確保)と共に(身の安全)を守るために、素早い動き(判断・指示)が求められるのです。
 人の目は、網膜で画像を捉えて → それを頭脳に送り、解析や処理を加えて → 再び目に送り返した画像を見ている、のでした。 
 (リアルタイム処理)
 目の前に、いま起こっている事柄をホボ同時(遅れたように感じさせない)に処理するためには、トンデモナイ(膨大な情報処理能力)が求められます。
 テレビ・コンピュータなど、現在のICやデジタル・情報処理の技術の粋を集めても、漸く大型ディスプレイにも(画面表示が出来る)ようになった程度です。
 だから、目がモノを見て、網膜が色情報を受け取る所までは分かったが、それから先が皆目見当が付かなかったのです。
 (画像情報の数値)
 *、昔の映画(ムービー)やパラパラ写真で(20枚/秒)でチラチラを感じる限度です、)(60ヘルツの蛍光灯や現在のテレビでは、光の明滅を感じることはありません。
 *、昔のテレビやムービーは(横640X縦480=30万)の画素単位で画像を構成していました。
 *、動画は、秒30枚の静止画を映連続写をするので、カラーなら静止画の100倍の情報・処理能力を、求められるのです。
 *、初期デジカメはこのムビーセンサを利用したものですが、現在の画素単位は(三千万画素)に上がっています。 
 ←(三千万画素のカラー画像が秒100枚)ばならmどんな情報量になるか?、世界中の人が旗を持って合図をしても追い付かないのデス。
 (それでも、人は動画を見ている)
 コレまでの色彩学や工学では、映画・テレビの方式で(動画を考えた)ので・・、誰がどのように転んでも(解決)の糸口すら見付けるコトは、出来なかったのです。
 ・・ それでも、人は動画でモノを見、判断をしている・・という「事実は動かせナイい」のです。
 (発想を変えましょう)
 三元色だから、同じような三色の色画像を同時に三枚ずつ並べて見ているのでしょうか?・・
 筆者の(白黒天然色)なら、白黒重視で他の色は、簡単でもでも良いし、白黒の本画像は、何処まで画像圧縮が可能だろうか?・・。 さらに連続画像なら、別の圧縮方式も適用が出来る・・
 などと、色々の可能性を探って見るのです。

 (連続画像)
 ムービー画像の編集をした人なら皆んが承知しているコトですが・・
、チャプター(一場面)内の画像は、殆ど同じで変わらず、人の手足や口が動くだけ、自動車などでもその形のままで僅かづつ動いて行くだけです。
 アニメなどでも背景を別に描いて、人物だけを動かす手法が採られています。 そうだ!!
 ◎◎  人が見ている画像は、静止画ではナク、常に動画を見ている、  ◎◎
 ◎◎  動画は、画像全体でナク、(変化分だけを描き替えれば)ヨイ  ◎◎
 ◎◎   (連続画像で偏移だけを補充する、全く新しい動画方式)   ◎◎
 ◎◎  変化を突き詰めると、画像でなく線画、白黒1ビットでもヨイ  ◎◎
 ◎◎  棹体データを蓄積すれば(FAXアナログ情報)として使える  ◎◎
 これは、それこそ「トンデモナイ大発見」だったのです。ここで初めて これまでの紙プログラムの構想(視覚のシステムコンピュータ)が、本当に動き出すkとにになったのです。