色 彩学のながれ 


  色彩学の流れ     
 (旧色彩学の色配置)
 みなさんが、百もご承知の通り、旧色彩学は、色の基本を {三原色」 と考えて、色々の説や考えを加えてきました。 この色の歴史を、ごくごく簡単に見て行く事にしましょう。
 色については、太古の昔から人類の関心事でもあったので、色々の経験的な事象を積み重ね・纏められた ,三原色説(グラスマン) もありました。
 近代科学の発展、色彩の世界にも及びましたが、(上図の)ニュートンのスペクトル実験(1666年)が最初とされています。
 (三原色説)
 太陽光の実験では(青・緑・赤)の三種の光が集まったように見えた(※)ので、そのまま(当時の
三原色説) に当てはめて、太陽光は、三原色(光)が集まったもので、全ての色はこの三原色の配分で作られる・・ としましたが・・ (当然の成り行きかと思われます)。
 ※ 上の図のように見えた、以外に(分解した光を集めて)元の白色に戻せることも同時に示した)
 (色紙の分光分布)
 下段の2・3列は太陽光に翳した色紙のの分光分布ですが、(色紙の反射でピークレベルが抑えられる、短波長域が寸づまりで(青色表現が小さい)・・などの不満はあるが)一応分光 (色配分) の様子が示されています。
 (光は電波)
 その後、色々の科学学や技術が発展し、(光は電波である)とされ・・(予言だった電波は、実際の通信へと発展をする)など・・ 、多くの新しい科学技術が進みました。
 この発展の成果が、色彩の世界にも持ち込まれましたが・・、これらには旧来の経験則に合わないものも多かったので、 旧色彩派(ゲーテが有名)と科学技術派との対立論争となりました。
 この対立は、その後も引き続き(根深く)現在の色彩学にも暗い影(※)を落とし続けているのです。
 ※ 現在の色彩学は、両者の力較べや妥協の産物で、理論が通らないものが多い
 (加減法混色)
 旧来から続く(光の三原色)に対して、印刷工業の部門から(印刷インクに適用し難い)ことから(補色原色論)が強引に改定されました
 この「色の減法混色」は 全く理論がナク、言葉遊びが押し付けられた)ものでした。
 (例えば、黄色(空色)は、赤と緑(青と緑)の合成なのに、青(赤)の補色だとして色の幅も持たないのに原色扱いを強制したのです。 また緑の場合は、赤紫と青紫に分かれるので、紫色光は存在しない、としました)。(黒の動作が合わず、(CMY)に無理矢理(K)を付け足した)。
 ∴ この時点で、色彩学は理論を捨てたのです。 その後は印刷メーカや戦争の秘密政策などで隠し通して・潰されたのです。  戦後は、カラー写真の企業秘密に消されて、陽の目を見ず、が続いていましたが・・  
 ここ20年ぐらい前からの パソコンの爆発的な普及で、漸く庶民の色扱い(年賀状やデジカメプリント)が拡がったのです。