色への道筋 


 色への道筋
 カレンダーが赤文字だったので、人並みにお休みを戴き、(変則リズム)の修正を・・ と思ったが(果たせずで(昼夜反転の夜行性が)まだまだ続きそうです(ダメネェー ・・ )
 さて、これまでの話で・・ 、(何故色別が出来るのか?) と、従来からの(光と色) の見方が、 「三原色(色素論) →(色は、もともと天然自然に存在(光や物質表面に着色)していて、それが見えた)ものとの考えて来ましたが・・ 、これが全くの間違いだったのです。
 私達の視覚の、感度センサーが、光の物理的な状態を常に観測しをして(そのデータ)からの 判定結果を「色の種別」 として報告してきたものでした。
 このことを受けて・・これまで、色々の解析を行い・・ 、「色の起こる原理」」を明らかにし・・ 、 先週までで、三原色の原因が、・・ 「(どの色でも可視光範囲の光を全部持っていて、分布傾斜が違う・・ (波長帯域分割は間違い)所までを明らかにしてきた・・ 所でした。
 私達の色彩を、今ここで振り返って見ると、・・ 、従来から(現在も)の色彩と大きく違ってきていることに気付き、 そしてなぜそうなったのか?・・(真の原因)が見えてきます。
 (三原色について)
 筆者が三原色の否定 (例えば、三帯域分割)を言うと、すぐに三原色に見える・・とか、三種の色料を混ぜて色を作る・・ 、などの反論が返ってきます。
 議論は結構 (むしろ、待っていますが・・ )、ピント外れの話が多いので・・ 、論点を明確に落ち着いて考えて欲しいのです。
 筆者が否定をするのは、「光や色を)(三種類)の物質のように(色素)に考えて、それらは(同時・同列に、働き・作用をする・・ )、だから三者の(強さや配分量で色が決まる・・ 」、とする考え方です。
 光のスペクトルが 「三色に見える」・・、とか、色種を分けると三色が基本と思われる・・と言うような、現象や感覚的な事実も・・ 、筆者は、全く否定していないし、むしろ積極的に観察を進め重視していっている筈です。
 ← この点では、古典的な (経験的な、心理色彩学)のほうが(素直で的を得た)ものが多く、近代科学以降の (現代色彩学) は、インチキ理論の積み重ねで、支離滅裂ですねネ・・ 。
 (大センセイの逆鱗に触れそうなので、ここらで置いといて・・ 、ワガ道を進むコトにしましょう)
 (感覚を大切に)
 色の世界が三原色に見える(感じる)・・は、(貴方の感覚だから)それで良いのです、人が感じたものを、他人が違うと言っても仕方ナイことです。
 何所をどのように違って感じるのか?・・を明らかにすると、原因や対策 (そして本人の納得・修正・・)も、自然に出てきます。 頭ごなしに「否定や押し付け」をしたって、何も進みません。 
 だから・・「三原色も目が見た一定の視野範囲の中に、長波長域の分布が多ければ赤く見える・・ 、のは事実だし、中波長域なら緑色・・ 、短波長域なら青く見えるのも事実だから・・ それらはその通り受け止めましょう (ただしその程度まで)。
  ← (これを、色の属性(色相・明度・彩度)・・などと、感じた範囲を超えて、勝手なことを決めて、付け足して行くから・・ だんだんと可笑しくなって来るのです。
 (三原色に見えた、が正しい)
 可視光の範囲 (波長帯域)を三分割したような(色配置が見える)、は事実だから大切にしましょう。
 長波長域の光がが多く分布する部分(画素)を赤いと感じたのです。 緑も青も同様に人の目は画素単位で、光を感じ波長分析をして色を感じています。 光を三種類に感じたから 「光は三原色」 で良いのです。
 このとき、貴方は(白・黒)も色と同様に 感じたので・・ 色の仲間に入れましょう。
 → (感覚的には、皆んなが 「四色を感じた」 のに、旧色彩学は(三原色を決め付けて)色から外してしまったのです。
 光は三色に見えたのに、色は四原色に見えた・・これは事実だから(勝手に変えて)はいけないのです・・ 。
 事実は素直に受け取り・・何故そうなるのか?・・を考えて行くのが科学です。
 今日は、又もや 「ゴタクが多く」 なりました(ゴメンヨ・・ )、明日から「色の基本(出発点)に帰って見ましょう。