明暗が視覚の基本 


 明暗が視覚の基本     色の歴史 
 一般用の色彩学の書物を開くと、まづ 最初は 「光と色」 で(何故色が見えるか?)から始まり、三原色 (白黒無視) からさらに、三属性・色相環へ・・ と進んで行きます。
 この流れは、色彩の歴史(上図は色彩心理・ナツメ社より)から見ると、ニュートンに始まって、マンセル・オストワルトなどで纏められた 「近世色彩学」 が、「そのまま現代に通用している」 ということのようです(←その後は混乱のみで進歩がナイ)。 ← (科学論は横に置いて・・ )
 (色の基本は明暗)
 色彩の本では、 「光と色」 と いきなり 「色の話」 になるが、視覚の基本は 「色ではなく明暗」にあります。
 アメーバなど原生生物は、光を目当てに集まるし、私達も(夢を見たり・画像を意識する)のは白黒の画像で、「色」というのは、「詳細に対象物を見極める」という・・(光量の豊富な昼間に限定)応用的な高級な感覚」のようです。
 明暗・輪郭・物の形や危険認識 など・・、視覚の基本(1義の目的は、殆ど白黒・明暗画像で処理されている・・と言えそうです。
 (明暗)
 私達が、物を認識するとき、その「形と明暗」を調べます。 明暗の最も単純なのは、FAXやコピー画像など(白黒)ですが・・、 図形や文字として判読はしますが、キレイとは言えません。
 原理的な形や判断の基礎になるのは、「2値の白黒」ですが、できれば多くの階調を持つ、「白黒(モノクロ)写真」 の方が良いですネ。
 (形の認識)
 形の方は、初めはアメーバなど 「明るい方向」 だけだったが、 画像範囲を次第に細分して形を認識するようになった、と思われます(トンボの目は複眼といって望遠鏡を敷き詰めたようになっている)。 
 人の目などは 網膜(フィルム構造)とレンズで、カメラと似た構造ですが・・、 カメラとの大きな違いは、画像処理のコンピュータが主役で、目はそのセンサーに過ぎない・・ ということです。
 形を認識するために、視野を画素(グラフ用紙の升目)に分割していることです。分割の密度(画素数)は(中心付近や水平などで違いますが・・)全部で(100百万画素程度?、色はもっと甘いカモ?・・ )と思われます。
 ← 今日はこれだけ・・ 「白黒の軽視が」、現代色彩学の最大の欠陥だった・・ ことを、認識して下さい)